「今回は特別な?」
香典を僕に渡す上司は言った。
悲しそうな顔してるのが僕。
僕の目の前にいる、体をこっちに向けないで封筒を渡してきてるのが上司。
「親ならともかくばあちゃんか…」
忘れもしない、この言葉。
少しガラついた声。
気だるそうな低いトーン。
僕の顔すら見ないで仕事の段取りばかり考えてる上司の横顔。
絶対に忘れることができない。
僕には「おばあちゃんごときで忌引きとか仕事舐めてんの?」としか聞こえなかったから。
二度と行けない祖母との孫旅
仙台旅行に連れて行くって約束をしてた。
おばあちゃんは旅行大好きで、地方に行ってはお土産のお菓子を買ってきてくれて。
「誠といっしょに行きたい」
帰ってくるたび、真っ先にそう言った。
って言っても、おばあちゃんの友達とか、サークル仲間とか、タイミング悪いとかで行けなかったんだけど。
…なんで行かなかったんだろ。
僕が大人になったら行くはずだった、仙台。
おばあちゃんが特に好きな土地で。
どこどこの景色が綺麗だよとか、どこどこの牛タンが美味しいよとか、たくさん話してくれた。
僕は小さかったから話の内容はあんまり覚えてない。
空想の”センダイ”を思い浮かべて、はしゃぎ散らかしながら「絶対行く!!!」と答えてたのは覚えてる。
労働に忙殺された祖母との旅行計画
僕は新卒で美容業に就いた。
高校生の頃からの夢だった。
僕の人生を変えてくれた美容師さんになりたかった。
僕も、誰かの夢を叶えられる美容師になりたかった。
僕に似たちんちくりんの癖毛を、ちんちくりんの癖毛を生やしてる僕が救うんだ。
僕は不器用だった。
最初は器用に見られがちだけど、メッキは簡単に剥がれていく。
軽めの粗相は毎日のこと、寝坊して遅刻もたくさんしたし、同期と肩組み合って愚痴もたくさん言った。
かといって特段、器用になることもなかった。
月の休みが平均で6日しかない職場で。
業界全体がそんな風潮ってのもあって、もれなく僕もその波に飲まれた。
10時間営業して。
その後3時間練習して。
帰って5時間寝れれば良いほうで。
また憂鬱な朝を迎える。
6連勤して。
早朝から実費で渋谷の研修に行って、1日中怒鳴られて。
また6連勤して。
「お前、もういいよ」
朝のミーティングに寝坊した僕の顔を見た先輩が、席を立って店を出ていった。
「”6連勤”って言葉がすでに違和感」
社長のありがたいお言葉です。
どうやらぼくらはゆとり世代だそうで。
甘えているのだそうで。
社会人失格だそうで。
昔は土曜日に学校行くのが当たり前。
昔は土曜日に仕事するのが当たり前。
「そうなんですね、すごいです」
どうでもよすぎて言葉に生気が乗りません。
「いつ帰ってくるの?」
「もうすぐ帰るよ」
おばあちゃんに嘘をついてしまった。
今のでちょうど100回目、だろうか。
余裕がなかった。
次々に課される新しい技術の課題。
苦手な接客でブクブク膨れ上がるストレス。
今までやったことない”先輩”という生き物とのお酒の付き合い。
月収手取り8万円。
余裕がなかった。
23時、閉まりかけのスーパーに駆け込んだ。
割引率が一番高いって、一番仲いい先輩に聞いたんだ。
お惣菜を3つ買って、3日に分けて食べた。
これで食費が1日100円。
米を炊いたら贅沢か。
何もかも『それどころ』じゃなかった。
取り返しのつかない人生
「昨日の21時に亡くなった」
業務連絡のような無機質なメールが届く。
母親からだ。
「明日、◯◯典礼の人が来るよ」
見栄張って24回ローンで変えたばかりのスマホが、おばあちゃんの死をけたたましく知らせた。
会わなきゃいけなかった。
僕の祖母だから。
行かなきゃいけなかった。
ぼくのおばあちゃんだから。
どうしても挨拶がしたかった。
最初で最期の「さよなら」を。
僕は仕事をしていた。
おばあちゃんのことで頭がいっぱいになりながら、僕は。
仕事なんて優先したくなかった。
どうでもいいし、仕事なんて。
おばあちゃんに比べたら、心底。
そんな僕は、仕事をしていた。
”そういうもの”だから、していた。
”社会”とはそういうものだから、働き抜いた。
次の日には実家に駆け込んでいた。
仕事していたのは僕の中の強迫観念の部分だけで。
僕はどこまでも弱かった。
祖母の葬儀に出るのにも許可がいる社会
母親からのメールを受け取ってすぐに、上司におばあちゃんが亡くなったことを伝えた。
「今回は特別な?」
香典を僕に渡す上司は言った。
悲しそうな顔してるのが僕。
僕の目の前にいる、体をこっちに向けないで封筒を渡してきてるのが上司。
「親ならともかくばあちゃんか…」
忘れもしない、この言葉。
少しガラついた声。
気だるそうな低いトーン。
僕の顔すら見ないで仕事の段取りばかり考えてる上司の横顔。
絶対に忘れることができない。
僕には「おばあちゃんごときで忌引きとか仕事舐めてんの?」としか聞こえなかったから。
僕の上司は月に100万円を売り上げる。
16席しかないサロンで、24人の予約を取る。
どうやら算数ができないらしい。
学力が高い美容師は稀だ。
僕らは職人である。
手先さえ器用なら、金が稼げる。
僕の上司はとびきり器用だった。
不器用な僕は、立場が弱かった。
自分勝手な行動が”許されない側”の人間だった。
技術力が低いから。
仕事より眠気を優先するお寝坊野郎だから。
疲労ごときで笑顔が作れない軟弱者だから。
同期と愚痴言い合うことしかできない負け組だから。
仕事ができないから、生きてるおばあちゃんにも会えずじまいなんだ。
”社会”とはそういうものなのだ。
上司は僕に冷たい。
無表情で、あまり目を合わせてくれない。
他の同期や後輩には笑顔だ。
休みを合わせて遊びに行くらしい。
僕が彼らの話の輪に入ることは一度もなかった。
つめたくなったおばあちゃん
居間に駆け込んだ。
玄関の引き戸をガラガラこじ開けて、後ろ手に靴をふっ飛ばして、駆け込んだ。
知ってる人間がたくさんいた。
父親、母親、5つ下の弟、おじさん、7つ下のいとこ、あんまり会わないおばさん、ほとんど会わないいとこ。
◯◯典礼の人も、すでに実家に着いていた。
親族の中で僕が最後らしい。
「死んじゃったよ」
「うん」
久しぶりだね。
痩せたね。
見ないうちにシワ増えたね。
いつもその服だね。
今の俺の稼ぎじゃ仙台旅行、ムリかも。
でも、服なら買ってあげられるよ。
おばあちゃんは目を開けてくれません。
先輩が焼肉おごってくれたよ。
ゲーマーで外出ないから金持ちなんだ。
俺はついつい服買っちゃう。
練習で使うお金も厳しいんだよね。
おばあちゃんは目を開けてくれません。
俺、才能ないかも。
研修で「そんなんじゃ美容師になれないよ」って言われちゃった。
俺だけつまみ出されて「笑顔がないけど、やる気ないの?」ってさ。
マネキン相手に笑顔なんかできるわけねーじゃんってw
おばあちゃんは目を開けてくれません。
テカテカした、白い服を着たおばあちゃん。
テカテカした、靴下のようなものを履かせてあげた。
これがあれば”ゴクラク”とかいう場所に行けるらしい。
おばあちゃんがそこに生きたいって言うなら、僕は行かせてあげたい。
置いてかれるのは寂しいけどね。
煙と灰と骨壺と
おばあちゃんは大きな釜の中へ運ばれた。
世の中には”法律”ってものがあって、人間が死んだら”火葬”ってのをしなくちゃいけないらしい。
ぼくのおばあちゃんでも?
………そりゃそうか。
おばあちゃんの姿が無くなってしまうのは悲しい。
ずっと僕のおばあちゃんでいてほしかったのに。
皮膚が冷たくても、僕のおばあちゃんでしょ?
呼吸してなくても、僕のおばあちゃんでしょ?
心像が動いてなくても、僕のおばあちゃんでしょ?
どうやら、それはダメらしい。
命には”ずっと”なんてないと、ここで初めて知った。
22にもなって情けない男である。
永遠だと思っていた。
全てが。
「いつか」
「そのうち」
「また今度」
そうやって生きてきた。
現実を見るのが怖かったのかも知れない。
おばあちゃんだったモノを、壺に入れた。
焼肉トングみたいなやつで、挟んで入れた。
最後に残った粉末を、火葬担当の方がハンディタイプのほうきで丁寧に集めた。
サッ サッ サッ
サラサラサラサラ
人生で初めて、現実を見た瞬間かもしれない。
会いたい人には、すぐに会え
つまらない言葉かもしれないけど、会いたい人にはすぐに会っといたほうがいい。
人ってすぐ死ぬから。
ほんとだよ?
すぐ死ぬから。
だからすぐに会ったほうがいい。
あなたにとっての会いたい人は。
父親かもしれない。
母親かもしれない。
兄弟かもしれない。
恋人かもしれない。
疎遠だった友達かもしれない。
憧れの有名人かもしれない。
好きなバンドかもしれない。
じゃあ、すぐに会ったほうがいい。
仕事休んででも。
金払ってでも。
借金してでも。
退職してでも。
すぐに会ったほうがいい。
すぐ死ぬよ?人間って。
これは僕の人生を変えた出来事です。