「なんかこのブログ、読むのしんどいな…」
あなたも一度は
そんな風に感じたことありますよね。
ブログで収益化を目指すなら
絶対に避けて通りたいポイントでしょう。
しかし、なかなかどうして
「読みやすいブログが書けない…」
という初心者の悩みは尽きません。
ここで1つ言うと
ブログ記事の読みづらさには
ある共通点があります。
しかもそれって意外と
- 書き手のクセ
- わかりやすさへの誤解
から来てることが多いんです。
ので、
あえてそのNGポイントを
すべて盛り込んで書いてみました。
そのあとに、改善案を解説しますね。
読むのがつらい体験をすれば、
自分じゃ気づけない
読みやすさの正体に気づけますのでね。
【ここは読まなくていいw】読みづらいNGブログ記事を徹底的に再現してみた
インターネット空間という仮想領域において情報発信の媒体として広範に活用されているブログという表現形式の在り方に対し、昨今の趨勢として極めて簡易的かつ即時的な情報伝達に重きを置いた「可読性偏重型コンテンツ」の氾濫が目立つようになってきた現状を鑑みた場合、文章という知的表出手段が本来有する多層的価値構造および抽象的概念の精緻な伝達という側面がないがしろにされつつあることに対して、ある種の危機感を抱かざるを得ないという思いに駆られます。もちろん、あらゆる情報は受容者に届いて初めて意味を成す以上、ある程度のわかりやすさや親しみやすさといった文体的配慮が必要であるという論にも一理あることは否定致しません。されど、だからといってその要素のみが突出し、文章が本来的に内包する含意や、複雑な構造と抽象性の中に潜む思索の起点としての性質を著しく簡素化・削減・劣化させてしまう風潮には、一考の余地があるのではないかと存じます。かかる背景のもと、ここでは意図的に可読性を排除し、認知的負荷を極端に増幅させる形で文章を構築し、現代的ブログ記事に求められる可視性や接触頻度では捉えきれない「読みづらさの効能」について試論的に言及するものと致します。殊に、改行を用いない文構成は、一文あたりの情報密度を劇的に上昇させ、読者の視線移動と脳内構文解析処理における摩擦係数を増大させることとなり、結果として文章全体への主体的介入を促す契機ともなり得ます。また、漢語的語彙の意図的過剰使用は、いわば一種の排他性を帯びた意味的バリアとして機能し、読者を選別しつつも、選ばれた読者に対しては高次の言語的美意識への接続を提供する可能性を秘めております。語尾を「ます。」で一律統一することにより、平板かつ単調なリズムが文章全体に波及し、文体としての抑揚を消失させる一方で、その無機質さが逆説的に読者の集中力を強制的に掻き立てるという副次効果を発揮します。更には、論理構造における結論の遅延および論点の錯綜配置は、読者に対して安直な理解や即時的判断を許容せず、結果として読解過程そのものを思索行為として再定義する可能性を開きます。読みやすいということが、果たして常に善であるのかという問いに対し、ここでは敢えてその対極を提示することで、読者自らが「読みにくさ」とは何か、「わかりづらさ」が孕む可能性とはどのようなものかを再考する契機となることを願います。文章とは本来、単なる情報伝達手段ではなく、感性と知性の交差点であり、時に暗喩や脱線を内包しながら読む者の思考を撹乱し、再編成し、深化させる作用を持つものであるという前提に立てば、「読みやすさ」の追求が一種の思考停止装置となりかねない点にも着目すべきであります。あまりにも整然とし過ぎた文章は、読者の思考余白を奪い、理解という名の錯覚を与えることによって、思索の道筋を細めてしまう危険性すら孕んでおります。そうした懸念を背景に、敢えてこのような読みづらい形式を徹底的に追求することにより、文章の本質的意義を今一度見直し、読解に対するわれわれの態度や習慣を根本から問い直すきっかけを提供することこそが、この記事の本懐であると申し上げます。読者の皆様におかれましては、この圧倒的冗長性と理解困難性に対し、あえて真摯に向き合い、咀嚼し、吸収し、自らの知覚フィルターを通して意味を編み出していくという、能動的読解体験そのものを楽しんで頂ければ、誠に望外の喜びであると感じております。最後になりますが、このような読みづらい文章をあえて読むという行為そのものが、情報消費社会に対する一つのレジスタンスであり、静かなる知的反抗であるという視点も添えておきたいと思います。
「読みづらい文章」って、どこでそう感じるの?

↑ゲロ吐きそうでしたねw
文章を読んでいて
「なんかしんどいな」と感じるとき、
内容が難しいから…
ではないことのほうが多い。
読みにくさの正体って
たとえばこんなところに潜んでます↓
- 見た目がぎゅうぎゅうで、目が疲れる
- 漢字が多すぎて、意味がとっつきにくい
- 一文が長すぎて、どこで息継ぎしたらいいかわからない
- 語尾のリズムが全部同じで、眠くなる
- 話が回りくどくて、何が言いたいのか迷子になる
さっきのゴミみたいなNG文章は
こうした読みづらさの原因を
あえて全部盛り込んでます。
「さすがにこんなことせんやろ~www」
と気をつけていても、
ブログを書いてくうちに
誰でも一度は
やっちゃいがちなんすよね~
①改行しない:縦スクロール媒体でこれはキツい
読み手にとって、
文章って『視覚的に見てるモノ』です。
表・図形・画像と同じ感覚で
ざっと眺める人が多いです。
そこで改行がないと
文章の全体像が見えにくくなって、
どこからどこまでが
一つの話なのかがわかりづらい。
地図がないまま
知らない街を
歩かされてるような感覚に近いです。
②装飾過多:目がチカチカして内容が入ってこない
太字、色付き、下線、マーカー、記号、絵文字…
読者の注目を集めたくて
つい色々と
装飾したくなる気持ちはわかります。
でもそうやって
ぜんぶ大事に扱ってしまうと、
情報量が増えてしまって
結果的にどこに目を向ければいいのか
わからなくなります。
装飾はあくまで『補助』ですから、
それを使いすぎれば
情報の整理ができず
混乱を生むだけです。
③難しい漢字や言い回し:知らない単語の嵐で思考が止まる
たとえば「毀損」「畢竟」「攪乱」「読解姿勢」…



「読解姿勢」しか読めん…
こうした難解漢字ばかりの文章は、
読むたびに
「これってどういう意味だっけ?」
と一瞬
立ち止まらなきゃいけなくなります。
一文一文が
ストレートに入ってこないと、
読むことに脳のリソースを取られて
内容が頭に入らなくなるんです。
④一文が長すぎる:読者の呼吸が続かない
NG文では、
一文が数行にも及ぶものもありました。
これはまるで、読者に
「ノンストップで長距離ダッシュしろ」
と言ってるようなもの。
読んでて疲れるのは当然です。
⑤全部同じ語尾:単調でメリハリがない
「〜ます。〜ます。〜ます。〜ます。」
きれいに整っているようで、
実は読者にとっては単調に響きます。
抑揚がないと
どこが大事なのかが伝わりません。
⑥結論が遠すぎる:読者の「で、何が言いたいの?」を無視
読み手って
どんなに真面目に読んでいても、
頭のどこかで
「この話って何のために読んでるんだろう?」
と考えています。



メリットがなけりゃ、わざわざ読まないわけです
NG文では
話の結論や要点が
後ろに後ろに引っ張られ、
読者の集中力が途切れてしまう
作りになっていました。
読みやすいブログ記事を書くコツ
正直なところ…
読みやすさに正解はありません。
ブログの書き方って、千差万別。
どの記事も
スタイルは違えど、
読みやすさは感じ取れますよね。
でも1つ言えるのは
『読み手が安心して、迷子にならずに読めるかどうか』
これが
すべての文章にとっての共通ポイントです。
ひとまず、
今回の記事の後半でも解説した
基本の『き』を真似してみましょう~
- 一文は短く
- 改行はこまめに
- 装飾は要所で
- 漢字よりひらがな
- 話はシンプルに
- 要点は先に
- たまに話しかける
たったこれだけを意識するだけでも
あなたのブログはグッと読みやすく、
そして伝わりやすくなるはずです。